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第四章 超速度速読法のテクニック ―疑似コンピュータ訓練で―

脳

疑似コンピュータ訓練状態を作り出す

さて、また速読法の訓練のことに話を戻すことにしよう。

これまで紹介してきたような様々な強制的訓練を外すと、とたんに元どおりの逐語読みに戻ってしまう条件反射に取りつかれるのが、大多数の凡人の悲しい習性である。

 

そうすると、せっかく上がった読書スピードが徐々に落ちていって、下手をすると完全に元の低速にまで落ちかねない。

この、速読法の修得には最大の障壁となる、逐語読みの条件反射を抑制する、消し去るためには、文章が視野に入ってくるペースが中途半端で、党えられそうなスピードだから、そういう反射が起きるのである。

そこで、もっと負荷を大きくして、絶対に内容を覚えられないスピードで訓練すれば、条件反射は起きてこない。

 

前に述べたように、パソコンやワープロを使っても、それは可能であるが、機種とかディスプレイの性質によっては、目に対する負担が大きく、連続しての訓練を続けにくい。

そこで、これから、本を使っての訓練を紹介するが、それが〈超高速ページめくり訓練〉と呼ばれる特殊訓練である。

〈超高速ページめくり訓練〉で条件反射を消し去る

新日本速読研究会の教室レッスンでは、分速一万文字の能力に達する人はザラで(といっても、もちろん全員が到達するということではない)、分速二万文字、三万文字でも、それほど珍しくはない。

受験生のような若い世代だと、レッスン五回までで分速十万文字の読書能力に達する人が月に二名ぐらいは出る。

 

そういう受講生は、記憶力も相当に向上して、まさに(速憶法〉の名にふさわしい域に近くなっているが、その鍵となっているのが、この〈超高速ページめくり訓練〉なのだ。

読者諸氏は、これまで左利きの人でない限りは、ページをめくる瞬間には、左手で本の背表紙を支えて、右手の親指の腹でページをめくっていたはずである。

 

従来のこの方法では、分速にして一万文字程度のスピードまでしか対応することができないから、速読法に上達すると、信じられないかもしれないが、手が目に追いつかないという現象が起きてくる。

 

これは、そういう事態に備えての新たな読み方であって、また、手が目に追い越されるようでは逐語読みに戻る条件反射は抑制できないから、せっかくの速読能力を元の木阿弥にしないための能力維持訓練でもある。

鈍感な左手を鍛錬して右脳を活性化する

それでは、具体的な〈超高速ページめくり訓練》の紹介に移ろう。

本書とは別に、何か縦書きに印刷された本(Iドカバーの本を除く)を用意して、右手で軽く背表紙を支え、左手の親指の腹でページの紙を「しごく」ようにしてページをめくる、ということをやってみていただきたい。

 

「しごく」というニュアンスが、ちょっと理解しにくいかもしれないが、銀行や郵便局で、行員が札束の札を数える時に、ビューツという、目にも止まらぬ早業で札を繰っているのを、読者諸氏は一度や二度はみたことがあるだろうと思う。ああいう感じで素早くページをめくっていくのである。

 

もちろん、ただめくるだけではダメで、中央の綴じ代付近の行も、ちゃんと視界に入るような状態でめくる必要がある。

超能力者でもない限り、みえない文字を読むのは不可能だからだ。

 

だいたい、一般の書籍は、二百ページから三百ページの間のはずであるが、1秒か2秒で、全ページをめくって、最初から最後までいってしまうというような猛スピードで、しごいてほしい。

どうだろう?

 

ただ単に指でしごいてめくるだけならば、それほど難しくもない作業だが、印刷された行の全部がみえるように、ということに気をつかうと、意外に難しいはずである。

最初はどうしても、一枚ずつは正確にめくることができないで、2、3枚をいっぺんにめくったり、ということをやってしまう。

これが正確にめくれるというだけで、相当な右脳の活性化訓練にもなるのである。

日本人に左脳型が多いのは右手偏重文化のせい?

それでは次に左右の手を替え、左手で軽く背表紙を支えて、右手の親指の腹でしごいてページをめくる、ということをやってみてほしい。

あなたが右利きだったら、今度はたいした苦労もなく、正確に一枚ずつめくれただろうと思う。

 

それだけ左手は、こういう作業をしていなかったために運動をつかさどる神経が鈍感になっていた、ということで、何度もこのページめくり訓練を繰り返していると、やがて、親指の付け根付近の筋肉が疲労し、しびれたり痛みを覚えたりするようになるはずである。

そうなったら、少しインターバル(休憩)をおき、また訓練を再開する。

 

これは、まったく頭を使わない単純で退屈な訓練であるから、あるいは飽きるかもしれないが、速読法修得のために、また右脳の活性化のために必要な訓練だから、毎日。五分とか十分という短時間でよいから。必ず実行してほしい。

 

なぜ、この左手訓練が右脳の活性化訓練になるかというと、読者諸氏もかつて高校時代に生物の時間で教わったと思うが、左手を支配しているのは、神経がX状に交差している右脳だからである。

 

手を鍛えて脳を鍛えるなどとは、バカバカしく感じる、あるいは納得できない大がいるかもしれないが、杓子定規でパターン的な行動しかできない左脳型と、ビジネスの面でも要求される独創性に富んだ右脳型の比率を調査してみると、日本人が世界でもっとも左脳型に偏している民族なのだ。

 

その理由であるが、食生活において日本人は(箸〉というものを使い、幼時から極端に右手に偏して使ってきたことが、理由の一つとして考えられる。

そして、左利きの人間は不作法とされて、否応なしに右利きに矯正される風習が長い間にわたって続けられてきた。

 

欧米人は比率的には、やはり左脳型のほうが多いのであるが、それでも日本人よりは、よほど右脳型の占める人の割合が多い。

これなどは、箸文化とナイフ&フォーク文化の違い、また、左利きに対する差別意識のようなものがなかったことと密接な関係がありそうに思う。

高速と低速の二段階で馴練する

さて、話をまたページ訓練に戻そう。二百~三百ページ程度の本を、最初から最後まで二秒前後でめくってしまう、という訓練をやったら、今度は、スピードを落として、三十秒前後の時間をかけ、じっくりめくる(低速ページめくり訓練〉を、交互に取り入れるようにする。

 

その際、高低どちらの場合とも視点を中央のページの綴じ部分におき、印刷された文字が視野に飛び込んでくるのに任せ、リラックスした自然体で眺める。

もちろん、数百ページの本を高速で二秒前後、低速でも三十秒前後、という猛ペースであるから、後者の場合であっても、最初はとうてい内容の把握など、できたものではない。

 

ところが、慣れというのは恐ろしいもので、最初はまったくみえなかった文字の群が、このページめくりのトレーニングを続けているうちに、次第にクッキリと、みえるようになってくる。

パソコンやワープロのディスプレイで、どんどん文字を出しては消していく訓練をする時と同様で、目がページめくりの猛スピードに慣れ、順応してくるのである。

 

さて、文字群がみえるようになっても、印刷されている文章内容を理解し、把握する、ということになると、ほとんどできないはずである。

みえるということと理解できるということの間には、依然として大きなギャップがあるのだ。

そのギャップのために、このトレーニングは理性的な人ほどバカバカしく感じられて、ついつい怠けてしまいがちになる。

 

ところが、右脳が鍛えられてくると、みえるということは、すなわち残像が短期ではあるが、利川に耐えられるだけ脳裏に残るということで、情報として記憶回路に刻み込むことができるということなのである。

 

角度を変えて考えると、これまでの読者諸氏の読み方は、文章内容を理解し、把握できるまで文字をみつめていたわけで、必要に迫られないので、みた対象物を《短期の記憶》として残像を脳裏に残す必要がなかった。

前にも述べたように、生物である人問においては、必要に迫られない機能はけっして発達しないのである。

ページめくり訓練のための独自教材を作る

ところで、読者諸氏は、この「ページめくり訓練をやるように」という文章を読んだ時に、わざわざ別の本を使うのは面倒なので、大多数の人が本書を使って試してみただろうと思う。

 

また、律儀に別の本を用意された方でも、たいていは大人向けの新書か、文庫本だったに違いない。

 

正直なところ、本書のように小さな活字で印刷された本では、まったく効果が上がらない、というわけではないが、顕著な上達効果を得ることはできない。

それは、猛烈なスピードでページをめくっていくわけだから、対象の本が小さな活字で印刷されているほど、目で捕捉しにくいからである。

対象がかすんでしまって捕捉できなければ、当然それを残像として脳裏に残すこともできない。

 

また、たとえば読者諸氏は、書店に入って、なにかよい本はないか、また自分の求める本が入荷していないかどうか、書棚を眺め回す、ということを、おやりになったことがあるはずだ。

 

その時、まず最初に目に入ってくるのは、タイトルが大きくて肉太に印刷された本で、小さなタイトル文字の本は、一呼吸も二呼吸も遅れて目に入ってくる。

 

この時間差が、瞬時とはいえ非常に璽要で、短期の記憶力を強化するためには、文字が鮮明にみえて、なむかつ、みている時間を短縮する、というのが必要な二条件であるから、訓練には活字の大きな本を使用する。

内容の難易度は関係ない、ただ文字の大きさだけが問題だ!

しかし、大人向けの本で活字の大きな本は市販されていないし、されていたとしても通常の書店ではみつからないから、これもバカバカしく感じられるかもしれないが、訓練教材としては小学生向けの児童書、それも、できるだけ低学年向けの児童書を用意していただく。

 

要するに内容の難易度は無関係で、瞬時に文字を認識できるか否か、という観点で文字の大きなものを教材とする、ということである。

その際、児童書の中には、背表紙の固く丈夫なハードカバーで製本されているものが多いが、こういうものは片手のページめくり訓練には適していないから避けて、柔らかい背表紙のものを選ぶようにする。

 

もし、そのような児童書がみつからない場合は、わざわざ書店で購入するには及ばない。いずれ日経を速読するためには必要なことであるから、ここでちょっと時間をかけ、独自教材を作っていただく。

 

どのような教材かというと、日経文庫の「経営用語辞典」「情報用語辞典」などを用意(所持しておられない方は、これを購入していただくとし、拡大コピーして文字を児童書なみに大きくし、ホッチキスで綴じて小冊子にするのである。

 

律儀な人だったら、両面コピーして製本屋に依頼するかもしれないが、そこまでするには及ばない、袋綴じで十分である。袋綴じの場合は、一冊にまとめようとすると、どうしても分厚くなりすぎるから、数冊の分冊にする。

 

前記の二冊は、自分は経済には強いから必要ない、という人でない限り、両方とも求め、両方とも拡大独白教材に作り替えたほうがベターである。

リラックス状態で多くの文字を職別する

さてここで、読者諸氏がそういった教材を準備し終えた、と仮定して話を進めることにしよう。

一冊を、高速では一秒ないし二秒、低速でも三十杪、という超猛スピードでめくってしまうのであるから、内容を把握できないという点では、児童書だろうと拡大コピーの独自教材だろうと、まったく関係がない。

ただ、眼前を業早く通過させたページに印刷されていた文字の群を、文字として明確に認識できるか否か、ということだけが問題なわけである。

 

とにかく、高速ページめくりをやりつつ文字をみるように努力していると、やがて数分でみえてくる。

ここで、「みるように努力」するということのニュアンスを取り違える人が多いので、念を押すと、みようみようと思ってリキんでしまってはいけない。

そうすると、従来の逐語読みの条件反射が起こってしまい、視野が狭まる。

 

狭まった範囲の中の文字がいくらみえたところで、速読法にも、その上の速憶法にも上達することができない。

どういう見方をするかというと、たとえば、サッカーやバスケットボールのようなチームプレ
ーの団体競技では、マークする相手をみるのと同時にほかの選手をみて、動きにおいていかれないようにすることが要求される。それには、ガチンガチンに固くなってマークする相手をみていたのではダメで、適度なリラックス状態が要求される。

 

それと同様の感覚で、リラックスしてできるだけ広範囲の文字をみて、識別する、ということである。もちろん、みえるようになったからといって、ページを埋めている全部の文字が明確に識別できるわけではない。

 

ごく部分的に十数個の文字が見分けられれば十分で、ページ全体の半分でも、三分の一でも、人によっては、一割程度でも差しつかえない。

 

この訓練によってパソコンやワープロのディスプレイ訓練と同様の状況が疑似的に作り出され、「文字は消えないものだ」という従来の固定観念が「文字は消えるもの」であり、しかも、「きわめて短時間で消滅するものだ」という潜在意識に、徐々に切り替えられていく。

そして、必要に迫られ。なんとか消滅するまでに文字群を記憶に留めようと、脳裏に残像を残す能力が高まってくる。

高低、双方向からのドッキング

さて、この段階で訓練をやめてしまうと、中途半端で終わり、速読法の修得に結びつかない。

一章で触れた即席即効の速読法、〈上下二点以外読まず訓練〉に始まる、高速なぞり読み訓練と、超高速ページめくり訓練のスピードのギャップを埋めていって、最終的には両者のドッキングを目指す。

それを、高速からと低速からと、双方向で行うのである。

 

そうすると、ドッキング完了時で速読能力は、さらにワンランク底上げされる。 潜在能力が活性化されて目が高速に慣れ、超高速ページめくり訓練でいくつかの文字が認識できるようになったら、次はページめくりのペースを、低速からさらに段階的に半分、そのまた半分と落としていく。

 

そうすると、ペースが落ちた分だけ、目が各ページを眺める「単位時間」は倍に増える計算であるから、当然、それに比例して、識別できる文字数も増えてくる。

 

が、ここで読み取りたい意識を過剰に働かせてしまってはいけない。そうすると、逐語読みの条件反射が執念深く首をもたげてくる。

この、逐語読みの条件反射を抑える、ということが、読み取れる文字数が増えるにつれて困難になり、うまく抑えられた人は驚くほどの上達ぷりを示し、抑えられなかった人は、上達までにそれなりの時間を必要とする。

1ページずつ正確にめくることに注意

次に、段階的にペースダウンしていく、このページめくり訓練に関して注意すべき点は、一ページずつ正確にめくること。めくるペースが速くなったり、遅くなったり、といった乱れを、できるだけ生じさせないことである。

 

超高速の段階では特に注意しなかったが、それは、均一のペースでめくっていくことは、超高速でなら、それほど難しくないのであるが、ペースダウンしていくにしたがって、徐々にそれが困難になってくるからだ。

特に、左手は、普段はこういう精密動作に使っていないので、指先の感覚が洗練されておらず、鈍感で、一ページずつ確実にめくっていくことができず、時々、数ページをいっぺんにめくってしまう「飛ばし現象」が起きる。

 

飛ばしたページに印刷されている文章は、超能力者でもなければ絶対に読むことができないわけであるから、確実にIページずつめくるように神経を使う必要がある。

 

が。これも肩に力が入ったリキみ状態ではよくない。あくまでも、リラックス状態が要求される。

親指の腹でしごきながら、紙自身の持っている微妙な「たわみ」と、その反発力を利用して、軽やかにページをめくっていくようにする。

目をマリオネットの人形のように無意識化する

さて、ペースダウンによって、識別できる文字の数が徐々に増えているはずであるが、いくらペースを落としても、全二百ページから三百ページを一分内外でめくってしまうのであるから、依然として意味などは、まったく理解できないと思う。これで、多少でもわかったら、正直な話、奇跡である。

 

あなたは天賦の速読法の才能を持っている、といってもいい。そこで、目の使い方であるが、ちょうど、自分自身が意志を喪失した、だれかに操られているマリオネットの人形にでもなったような感じで無生物化し、猛スピードで流れ去っていく各ページを、次々と網膜に写し取っていくような気持ちになる。

 

これは、逐語読みの条件反射を抑えるということで、あえて文字を読み取ろうと下手に意欲を燃やすと視野が狭窄する現象が起きるが、こういう受動的な精神状態だと視野狭窄があまり起きないですむ。

 

つまり、なかば無意識状態になる、というのが、一つの速読法上達のポイントなのであるが、これは頭を殴られたり麻酔薬を嗅がされたりした、半失神状態のような無意識を意味しているのではない。

 

先ほども例に出したが、サッカーやバスケットボールのマンツーマンディフェンスでは、固くなりすぎると一人の相手しかみえず、リラックスしないとほかの選手がみえないが、かといって、リラックスしすぎてしまっては、動作が緩慢になるから、敵につけ込まれる。

 

一流スポーツ選手の体験談に、試合前にものすごく落ち着いていた時は、あまり結果がよくない、むしろ適度にアガっていた時のほうが好結果が得られる、というようなことが聞かれるのは、神経の弛緩によ って動作が緩慢になるからである。

そこまで過剰にリラックスしてしまっては、いけない。

つまり無意識といっても、なにかあれば即座に反応して行動を起こせるようなエネルギーをうちに秘めた、積極的な無意識である。

意味が認識できないまま、潜在能力が活性化される

さて、どうにか文字を網膜に写し取っても、この段階では、まだとうてい、意味が認識できるところまではいかない。

意味が認識できないのでは、読者諸氏としては、まったくの無意味な行為のような気がするだろうと思う。

 

しかし、意識としては自覚できなくても、片端からどんどん消え去る文字を読み取ろうとして、無意識のうちに潜在能力が活動を開始していることが、やがて実感できる。

みたものを、短期ではあるが残像として脳裏に焼きつける能力が、次第に活性化されていくのである。

 

この段階では〈上下二点以外読まず〉の訓練文で「与えられた時間内に、読まずにみるだけで、どれだけ先の行まで進めるか?」に挑戦した時と同様に、バカバカしさに耐えて眠っていた潜在能力を気づかないうちに覚醒させる、ということが訓練のキーポイントになる。

 

読み取り能力を上げるために、読み取り不能なレベルの訓練を〈捨て石〉として導入する、ということで、パソコンやワープロのディスプレイ訓練と同様である。

目の眺める範囲を有効視野に近づけていく

さて、ペースダウンをしたことによって、ページあたりの、目がみている所要時間は、さらに長くなる。

そこで、ここからの要領がやや難しくなる(だから、要領のよい人なら本書だけで速読できるようになるが、悪い人だと、チンプンカンプンになりかねない)のであるが、目が一度に眺める範囲を狭めていく工夫をしてもらう。

 

なぜかというと、ちょっとここで、ページの中心部に視点を据え、どのくらいの範囲の文字が識別できるか、という視野チェックをやってみていただきたい。

まず、上下の文字と両隣の文字はだれでも識別できると思うが、三文字、四文字上下ではどうだろうか?

また、三行、四行隣ではどうだろうか?

 

このように、ある箇所に視点を固定した状態で周囲の文字を識別できる範囲を「有効視野」と呼ぶが、これは大多数の人は狹い範囲に限られているからである。

この範囲よりも外側に存在する文字は、そこに文字が存在していることはわかっても、かすんでしまって、読み取ることができない。

読み取れないものは理解も記憶もできないのであるから、眺める範囲を徐々に有効視野に一致させるように持っていく。

 

具体的には、たとえば見開きのページの片側しかみられなかった人は、見開きの両側のページがみえるように、両側のページがみえた人は、それぞれのページを、もっと詳しくみるように、視線を走らせていただきたい。

 

猛スピードの時は、一ページのただ一ヵ所しかみることができないうちに、次のページに進んでいただろうと思うが、たとえば、V字形に視線を動かすわけである。

V字形に動かすことが難しい人は、ページの右上をみて左下をみて、次のページに視線を飛ばす、というようなやり方でもかまわない。

 

視線の走らせ方に、これがベストだというような定型の規則は、ない。

 

要するに、眺めた文字群を、景色と同様な捉え方で、残像として脳裏に記録することが目的であって、文字が識別できないかすんだ映像を残しても、ほとんど意味がないのであるから。

余裕のある人は、稲妻形、W字形、あるいはそれ以上に細かく動かせれば、よりベターである。

 

その人その人にとって実行しやすい方式で、視線を素早く走らせ、飛ぶように過ぎ去っていくページに印刷されている文字群を、できるだけ細かくみて、一度に読み取る文字数を減らして有効視野に近づけていく、というのが、ここでの訓練のポイントになる。

視線をハンディコピー機のように使う

要領が難しい、と述べた理由であるが、こういう書き方をすると、大多数の人は文字が識別できる割合が増えるにしたがって、視線を細く狭めて〈線〉と捉え、その線の動きをV字やW字に持っていこうとする傾向が強い。

そうではない。そうしてしまうと、短期の記憶力は永久に鍛え上げられない。

ここで、要領のよい人と悪い人、という違いが出てくるのである。

 

右の訓練を、どうにか理解しやすいようにたとえると、視線は。有効視野に一致する読み取り幅を持ったハンディコピー機である。

そして、コピーされた像が、残像として脳裏に焼きつけられる短期の記憶である。

読み取り幅を外れた位置の文字はコピーできないし、また、読み取り幅を狭めてしまうことは、コピー機の機能を十分に活用しないことになるので、大きな無駄である。

 

自分の目が、〈生体ハンディコピー機〉であって、読もうとしている本なり文献なりの内容をソックリ脳裏に残像として転写しようとしているのだ、と想像していただくと、前述の訓練で、いったいどのように視線を動かせと要求されているのかが、飲み込めると思う。 要するに極端な話、どう動かしてもかまわないのであるが、ページの全部の文字をコピーして、コピー漏らしをできるだけ減らす、最終的にはコピー漏れが出ないようにする、ということである。

 

日経を読む場合のような新聞記事だとか、週刊誌の記事は非常に単純で、だいたい段落の上下幅が、大多数の人の有効視野の上下幅に一致する。

そこで、視点を段落の中心付近に据えて、横一直線に動かしていって全部の文字を読み取る、というようにするわけである。

ページめくり「カウントダウン」

さて、またここで訓練に戻って、ページめくりをさらにペースダウンし、一秒間につき8ページのペースで、ページめくりをやってみることにしよう。

最初から一秒間に8ページのペースだと、これは途方もなく速く感じる。

 

ところが、あなたは、段階的にペースを落としてくる、カウントダウン方式の訓練を続けてきたから、潜在能力が活性化されている。 そこで、一秒問に8ページでは(物足りなさ〉を覚えるくらい、ゆっく りで余裕のあるペースに感じるはずである。

 

そうすると、一ページあたりの所要時間がさらに長くなるから、あなたは一瞬で視野に捉えられる範囲をもっと狭い領域に絞り込み、有効視野に近づけていくことができる。

 

前記のたとえでいうと、目という(ンディコピー機をもっと緇かく動かせる、ということである。

各ページでV字形に視線を走らせていた人は、稲妻形、W字形に走らせることができるようになるだろうし、W字形に走らせていた人は、もっと細かく、ノコギリの刃型に走らせることができるだろう。

 

そして、同時に各所に、意味のわかる単語がポツポツと散在しているのが、認識できるようになる。

 

もちろんこの段階では、まだ短期の記憶力の活性化は不十分であるから、みる片端から〈忘却の彼方〉へと飛び去ってしまい、文章全体の内容や構成などは理解できなくて当然である。

 

あるいは中には、一秒問にハページのペースだとまだ速すぎ、各ページで視線をW字形や稲妻形に走らせたりできない、という人がいると思う。

これまた、視力に関係があって、だいたい0.5未満の視力の人だと、初日では無理で、できるようになるまでに、何日かを必要とする。

 

そういう人は、さらに半分にペースを落とし、一杪間に四ページをめくるペースで先に進むようにする。

その時点、その時点での能力に合わせて訓練を行い、けっして無理をしない、あせらないことが速読法に上達するポイントである。

気があせると目もオーバーワークでおかしくなるし、結局は上達速度を鈍らせることになる。

訓練文の高速なぞり読み訓練に再挑戦

さて、ここで再度、文章は読まないで、とにかく可能な限りの高速で文章を視線でなぞっていく(上下の■だけを見て、中間を抜く当初の見方でもよい)、という一章の訓練文の、高速なぞり読みに再挑戦してもらうことにしよう。

 

10秒の制限時間を設けて挑戦して、どのくらいまでいけるだろうか?

3ページ目の最後(つまり40行以上)までいっていれば、あなたはギリギリの及第点である。

 

しかし、目が思うように動かなくて20行から30行の間あたりでウロウロしていたとしても、
別にたいした悲観的要因ではない。

そういうのは、脳味噌のできが悪いのが原因ではなく、たいてい視力がネックになっているのであるから、目が慣れてくれば、それだけで必ず上達する。そう信じて鷹揚にかまえていてほしい。

 

いずれにしろ、先刻はまったく意味が認識できなかったはずのこのスピードで、もっと上位のスピードからカウントダウンしてきたことによって、多少なりとも勝手に向こうから意味が飛び込んでくる、部分的に文章内容が理解できる、という現象が起きているはずである。

ムリヤリ、必要に迫らせる、という訓練のおかげで潜在能力が活性化され、短期の記憶力が強化されて、瞬時に目の前をよぎったものでも、脳裏に残像を残し、それを読むことができるようになった、ということである。

 

ここで、いよいよ、速読能力を自分のものにするために、高速方向からと低速方向、双方向からの訓練のドッキングを行う。

視線をノコギリの刃型に走らせる

さて、ここでまた、ページめくりの訓練に戻って、一秒間に4ページの割合でページをめくっていく。

ページあたりの所要時間は、さらに増えたわけであるから、たとえばW字形、稲妻形に視線を動かせていた人なら、もっと細かく、ノコギリの刃型に動かすことができるはずである。

 

もちろん、これも、ハンディコピー機を素早く操作し、全文字を有効視野の幅で転写するようなイメージの動かし方をするわけである。

 

スピードを落とすにしたがって意味が読み取れるようになるので、ついつい人間の心理として、従来の逐語読みをしようと視野を細く狭め、みえるのに複数の行をみなくなり、やがては意味を読み取っている対象の行だけしかみなくなってしまう。

これまでの読み方の習性に逆らうわけであるから、非常に難しいが、なんとか有効視野を幅広のまま維持して視線を動かすように努力していただきたい。

 

最初は、狭くなったと気づいて広げる、また狭くなる、また広げる、という作業の繰り返しになるはずである。

 

これは、喫茶店でだれかと話をかわしていて、同時に、隣の席の客の会話も聞き取ろうとしていても、つい話に熱中すると聞こえなくなる、そこで気づき、また聞き取ろうとすると聞こえるが、すぐにまた聞こえなくなる、という状況に(目と耳の違いはあるが)似ている。

このように人間は、意識を集中している対象以外のことは情報として頭に入らないようにシャットアウトする能力(これを(大脳の自動取捨選択機能〉と呼ぶ)を持っており、非常にすぐれた機能である。

 

しかしこれは、こと速読に関してはマイナス要因として作用する機能なので、訓練によって抑制しなければならないわけである。

<重複転写>が短期の記憶力を強化する

さて、話をページめくり訓練に戻すと、次の段階としては、一秒間にニページ、一秒間に一ページ、と順次ペースを半分に落としていく。

視線のノコギリの刃型は、さらに細かくなって、最終的には、一行ないし二行刻み、という視線の動かし方になる。

 

そうするとこの状態では、単位時間あたりのたどれる行数に換算すると、だいたい一秒間に六行前後で、先刻の高速なぞり読み訓練を、わずかに上回った数字になる。

あの時は、どうしても一秒に四行のベースでは速すぎて視線を動かせなかった人でも、こうして超高速ページめくり訓練から段階的に落としてくると、意外に楽に動かせるようになっているものだ。

 

さて、一行刻みになった場合でも、視線は依然として、(ンディコピー機を操作するような動かし方をするわけであるから、従来の読み方とは違って、両脇を合めた三行とか五行を、まとめてみている格好になる。

つまり三行をみている人だったら三回、五行をみている人だったら五回、重複して脳裏に残像を転写する、ということになる。

 

実は、この〈重複転写〉が、短期の記憶力とイメージカを鍛錬するうえで、非常に重要な要因になる。

人間、一度しか通らなかった道は、覚えようとしても容易には覚えられないが、何度も通っている道は、その気がなくても覚えてしまう。

これが(生活の記憶〉であるが、同じことが短期の記憶力とイメージカに関しても適用される、ということである。

高速と低速のドッキング完了

さて、一秒に四行のペースが苦痛ではなくなった、という人に関しては、高速と低速、双方向からのドッキングが、ついに行われた、ということになる。

 

そういう人が、ここで試しに、文章を理解しながら読む、ということをやってみると、訓練を開始した初日でも、だいたい、分速三千文字から五千文字ペース(文庫本や新書の1ページを十秒前後で読める)で、じっくり味わって熟読することができる。

 

これは日本人の平均読書能力の十倍前後の数値で、速読法の訓練をせずにこのスピードで本を熟読できる人は存在しないと考えてよい。 さて、ここで、読者諸氏が自主的に速読の訓練を実行しやすいように 、あらためて箇条書きにして、プログラムを要約しておくことにしよう。

 

① 全二百ページから三百ページを(何ページでもかまわない、とにかく全ページを)0.2秒から0.3秒でめくりながら、視線を走り過ぎていくページに向ける。

意識は最初は、どうしても、めくることに向きがちであるが、主たる意識は、あくまでも〈み る〉ことにおかなければいけない。

 

② 全ページを、段階的にペースをダウンしながら、ゆっくりめくっていく。五秒、十秒、二十秒……というように、ページめくりに費やす時間を増やしていく。

その際の時間設定は、正確である必要はなく、要するに、段階的に落ちてさえいれば、大雑把でかまわない。

視線は、各ページの文字を、文字ではなく、一種の景色・模様とみなし、脳裏に残像として残すような気持ちで、映像的・観察的に捉えていく。

 

③ 一秒で八ページ、一秒で四ページ、一秒でニページ、一秒で一ページ、二秒で一ページ……と、段階的にペースを落としていって、それにしたがって視線の動かし方を細かく、最終的に有効視野(文字を正確に識別できる範囲の視野)でページ全体をカバーするようにもっていく。

 

視線の動かし方は、ハンディコピー機を操作しているような気持ちになって、意味が読み取れるようになっても、幅を狭めないように心がける。

最初は、狭めては広げ、狭めては広げ、の繰り返しになるが、あきらめないで取り組む。

 

④ 一秒で五行、一秒で四行、一秒で三行、一秒で二行、一秒で一行……と、さらに遅く、ペースを落とす。

この最後の④であるが、速読法に上達してくると、一秒で二行、三行のペースでも十分に内容の読解ができるようになる。

そうなったら一秒で一行、一秒で二行のベースは、訓練の課程から自動的に除外されることになる。

 

そして、連日この訓練を続けていると、一秒で三行が読めるようになり、四行が読めるようになり、ついには、この④の項目全体が消滅してしまうことになる。

そうなったら読者諸氏の速読法は完全な本物の技術になった、ということができ、なんにでも応用がきくようになる。

後はこれを、速憶法のレベルにまでパワーアップすることである。

訓練時間の目安は?

ここで、この訓練を、いったいどのくらいの時間やればいいのか、その一応の目安を書いておくことにしよう。

こと細かく文章で説明してきたから長いような感じがすると思うが、①から④のまでの訓練を全部やって、せいぜい五分程度のものである。

これを、連日、欠かさず朝晩、ニラウンドの十分ずつ行うようにしていただきたい。

 

それが時間的に難しい、という人は、朝晩のどちらか片方でニラウンドの十分をやる、というよりも、朝晩どちらもTフウンドの五分ずつを実行するほうが、効果は大きい。受験勉強における復習と同じで、活性化された潜在能力が、やがて感覚を忘れなくなるのである。

 

読者諸氏がいくら超多忙人間だとしても、たった五分の訓練時間を生活スケジュールの中から捻出するのは、造作もないことだろうと思う。

 

極端な話、トイレの中(もちろん、時問がかかる場合だ)だけを訓練場所に設定しても、いっ
こうに差しつかえないのである。

 

やれない人は、多忙というよりは意志が弱いか、飽きっぽい三日坊主の性格で、一つのことを、しぶとく長続きさせられないに違いない。 そういう人は、訓練内容を間引いて、一分程度にまで圧縮してしまうとよい。それでも、やらないよりはマシで、普通人の数倍程度の速読能力だったら、十分に獲得できる。

初心者の読み方から上級者の読み方へ

さて、目をハンディコピー機的に使う読み方ができるようになると、常に複数の行を視野に入れているわけであるから、印刷された行数と視線を往復させる回数が一致しなくなる。

 

たとえば、軽い小説やノウ(ウ本など、やさしい内容の本ならば三往復から五往復ぐらい、難しい本でも、十往復ぐらいで次のページに移れるようになる。

しかも、本人は、それまでの、行数に一致する回数を往復させていた当時と、ほぼ同じような感覚で読んでいて、まったく違和感がない。

 

意識的に視線を往復させた回数を勘定してみて、はじめて実際の行数よりもかなり少なめに往復させたことに気づく、という状態である。

 

これは、たとえば、スポーツに上達してくると、球技なら、ほとんど意識せずに相手の打ってくるポールに反応して打ち返したり、行動しているが、意識してないからといってストロークの正確さ、身体の機敏さが薄れるわけではない。

むしろ、意識しないでいる時のほうが機敏に、迅速に行動している。

 

それと同様で、文章を読んで内容を理解する場合も、文字や行を正確に目に捉えることを意識せず、無意識に捉えて自動的に脳に残像として転写する、というワンクッションを挟んでも明確に理解でき、むしろ逆に理解できるまでのスピードが上がる、速読できる、ということである。

 

そして、この状態、こういう視線を幅広に使う読み方に慣れてくると、以前の読み方に比べて神経を使わないので、脳細胞が疲労しない。

長時間の知的作業に耐えることができ、また記憶力も数段向上する。

 

これまた、テニスや卓球で単純な打ち合いのラリーなら、意識して手足を動かしている初心者よりも、意識せずに手足を動かせる上級者のほうが、長時間やっても疲れないで、打ち合いながら、同時並行に相手や周囲の様子を観察できるというのと、類似の現象である。

 

視線を幅広に使う場合、大多数の人の有効視野は、ちょうど新聞の一段に等しいかそれ以上であるから、これまでの訓練をやってきて、ある程度まで上達したと感じたら、日経の記事を読む時に従来の逐語読みを排除して、段の中央に祝点をすえ、横一直線に動かして意味を読み取る、というふうにしてみていただきたい。

 

何度も、目をハンディコピー機にたとえて説明してきたが、日経の記事でコピーする必要があるものをみつけ、ハンディコピー機を仗って複写するとしたら、だれでもけっしてノコギリの刃型に動かしたりせず、横一直線に動かすだろう。 それとまったく同じようにする、ということである。

 

内容の難しさのために日経では困難だったとしても、朝・読・毎のような一般紙だったらできるだろうし、日経でも、スポーツ欄や文化欄でだったら十分やれるはずだ。

改めて「日経を速読する方法」について

速読というのは、万能ではない。

 

何度もしつこく述べることであるが、速読能力を身につけたからといって、一発必中で内容を記憶できるようにはならないし、それまで理解できなかったものが理解できるようにもならない。

要するに、インプットされていない情報を、アウトプットすることはできない、ということである。

 

しかし、インプットされている情報に関しては、アウトプットまでの所要時間を限りなく短縮していくことができる。

こんなことは当たり前のことで、だれでも理屈としては理解できるはずであるが、実際には間違い、誤解することが多い。

それが、日経が他紙に比べて速読しにくい原因である。

 

たとえば英語やフランス語のような欧文を読んでいて、知らない単語に出合ったら、その単語は辞書で意味を調べるか、よく知っている大に教わらない限り、いつまで眺めていようと半永久的に理解することができない。

 

要するに、欧文だと、「自分は知らない」ということを素早く自覚できるのであるが、日経を構成している和文の場合には自覚できない。

 

トータル的な概念が把握できないのに、一文字一文字をみると自分の知っている文字であるから、つい理解できるような錯覚が起きる。

そして理解度が曖昧なまま読んで、その曖昧さが一定量を越えてしまうと、なにがなにやらチンプンカンプン、という状態になって放り出す。

 

原因は、必要な情報がインプットされていないからである。

この場合の「必要な情報」は、「専門用語の定義と概念」と置き換えれば、さらによく理解してもらえるだろう。

まず情報のインプットが速読の早道

飲み込みの悪い人のために、もっと理解しやすくたとえると、大学受験生の場合に、よく国語の古文で同様の間違いを犯すのであるが、同じ日本語であるから、一見したところ、一文字一文字は読める。

 

そこで、主要単語の正確な意味や概念を頭にインプットする手順を省いて、中途半端に勉強し、やがてなにがなにやらチンプンカンプン、という状態になって放り出す。

 

最初に必須単語の意味や概念をインプットする作業は大変であるが、大変といっても、その数は英単語よりは一ケタ少なく、せいぜい三百語から五百語程度であって、本気で取り組めば、一週間もあればマスターできる程度のものである。

 

そして、最終的にみれば、多少の手間暇を要しても最初に必要な情報をインプットしておいたほうが、実際に古文を読む時に速読できて、取りかかりの時に失った時問の数倍の時間を取り返すことができる。

 

よくいわれる格言であるが、「学問に王道なし」ということで、日経を速読しよう、という場合にも、この古文を速読するのと同様のことがいえる。

必要な情報をインプットする手順を最初に踏む、ということである。

 

ビジネスマンとして、すでに(ベテラン〉の域に達していて、わざわざ専門用語の定義を学び直す必要はないという人ならばともかく、ビジネスマン一年生で、これから諸先輩に伍してやっていこう、そのための情報源として日経をフル活用しよう、というような人だったら、「急がば回れ」まず最初に専門用語を頭にインプットしてしまう手順が必要となる。

そのために使うのが、こページに紹介した、日経文庫に晄舗されている「経営用語辞典」「情報用語辞典」などである。

 

この、日経文庫の用語辞典シリーズは、そのほかにも「金融用語辞典」「株式用語辞典」「流通用語辞典」「広告用語辞典」「貿易為替用語辞典」「販売用語辞典」「コンピュータ用語辞典」「不動産用語辞典」「人事・労務管理用語辞典」「保険用語辞典」などがあるから、自分が必要とする分野のものを買いそろえるとよいだろう。

覚えようと考えず、形を頭に焼きつける

さて、こんなことを書くと、「今さら。大学受験生じゃあるまいし、(出る単〉を暗記したみたいに日経の用語辞典シリーズを暗記することなんか……)と尻込みする人が多いだろうと思う。

もちろん、そんなことを要求しているわけではない。

 

日経を情報源として速読したいような、超多忙なビジネスマンに、そんな時間も余裕も、捻出できるわけがない。そこで、筆者が29~32ページで述べたことを読み返していただきたい。

 

拡大コピーして文字を低学年の児童書なみの大きさにし、ホッチキスで綴じて小冊子にする、そしてそれを、ページめくりの訓練に使う、ということである。

中身は別に、「覚えよう! 暗記しよう!」などと意識しなくてかまわない。

 

それでも、毎日この独自教材でページめくりのトレーニングをしていると、自然に中に書かれている内容が、形として脳裏に焼きついてしまう。

意味のインプットではなく、(形のインプット〉であるが、これが実際には、ごく自然に、当初の目的である意味のインプットにまで移行していって、日経が速読できるようになる。

 

あなたは毎日、自宅から会社まで同じ道を歩いて通っているはずだが、その道の両側の家々の外観は、特に意識せずとも、焼きつけられたように頭に入ってしまっているに違いない。それと同様の現象が、毎日の少しずつのページめくりトレーニングの独自教材として、前記の日経文庫の用語辞典シリーズを拡大コピーしたものを使い続けることによって起きてしまうのである。

 

ちょっとピンとこないかもしれないが、たとえば、あなたの毎日の通勤路に、第一勧業銀行があるとすると、この六文字に関しては、一文字ずつに分解した逐語読みではなく、あなたは六文字全部を瞬時に、同時に読み取っているはずである。

 

今春からは合併によって太陽神戸三井銀行が誕生し、第一勧銀より二文字も長い名前になったが、それでもやはり、数日で慣れて八文字全部を瞬時、かつ同時に読み取れるようになることは疑問の余地がない。

 

人間には本来、そのように文字を群単位でブロック的に把挫する能力があり、ただそれを有効に使っていなかっただけの話で、ほんのちょっと訓練しただけで日経を速読する際にも使えるようになる。

情報量が不足していれば、流し読みさえできない

日経を読みこなすのに必要な情報が、一定量以上、頭の中にインプットされていなければ、流し読みしたくともできない。

たとえばこれを、英語やフランス語などの欧文に状況を置き換えて考えてみれば、即座にわかるだろう。

 

欧文に対する情報量が、ある一定量以上の人(単語力や熟語力がある人)は、見知らぬ単語が出てきても、文脈の前後関係から、おおよその見当をつけて読み進んでいくことができる。

 

ところが、あっちにもこつちにも見知らぬ単語があるような人だと、ジグソーパズルを組み立てるようなもので、悪戦苦闘するばかりである。

 

日経の場合、そのことに気づかないのは、文章を構成しているのが日本語であるために、一文字一文字に分解してみてしまうと読める、そこで全体も読めるような錯覚に陥ることに最大の原因が存在している。

 

全部の経済用語、情報用語を熟知している必要はないが、知らない概念の言葉を一定量以下に抑えておかなくては、日経速読の理想である流し読みをしようにもできない。

だから、本書で紹介したジョイント速読法を修得する以前に、未知の言葉数を許容規準以下に減らす作業をすることが必要になる。

それさえやっておけば、たとえ、速読法を身につけなかったとしても、(流す〉読み方を、日経に対してすることが可能になる。

曖昧な語句の再定義をすべし!

さて、日経を読んでいてつっかかる場合、小学生ならばいざ知らず、完全に未知の言葉というのは少ない。

どこかで、一度や二度はみかけているのだが、その時に頭に、その言葉の意味している概念を明確に入れておかなかった、その時は一応、明確にしたのだが、時間の経過と共に忘れてしまった、というような場合が大半である。

 

そういった言葉や語句に関しては、いくら時間をかけて紙面をにらみつけていたからといって思い出せるわけではなく、たいていは時間が虚しく過ぎていって精神的にも疲れるばかりである。

そういった時には、労を惜しまずに、前述の日経文庫の用語辞典シリーズにあたれば、まず大半が解決できるのであるから、この手順を省かないほうがいい。

 

中学生が初めて英語を勉強し始めた時と違って、一冊の全部が丸々未知の言葉だ、などということはなく、完全に未知の言葉は数えるほどで、収録されている言葉の大多数が、「みたことはあるが頭の中で定義づけをしっかりしていなかった」というものであるから、時間的にはたいして必要としない。

ここでも、(急がば回れ》、まず曖昧な語句の再定義づけをやっておいたほうがベターであることがわかる。

日経の専門用語のパターンに慣れておく

それでは経済用語をパターンとして頭の中に入れるには、どういうトレーニングをすればいいのか、ということになると、まず、たいていの人が勘違いする。

パターン認識力を鍛える方法は、認識すべき対象の物をみる時間を、できるだけ短縮していくことなのである。

 

そうすると必要に迫られるので、人間の脳は潜在能力という(切り札〉を、隅のどこからか引っ張り出してきて、みた物をできるだけ長く、残像として脳裏に留めようとする。

それは短期の記憶であって、いずれは消滅してしまい、意識的に活用することは難しいが、無意識的には、パターン認識能力となって、半永久的に残る。

 

そのためには、ページめくり訓練用に、日経文庫の用語辞典シリー・ズを拡大コピーしたものを独自教材として使い、秒以下のできるだけ短い時間で〈飛ばし眺め〉をしていくのが、個人レベルの訓練としては適している。

 

新日本速読研究会としては、日経を速読するために必要となるような数多くの経済用語を、キーワードとしてパソコンにインプットし、ディスプレイ上に素早く出しては消す、という教材を作成して、読者のニーズに応えようと考えている。

 

かつて英単語を覚えた当時のように、日経文庫の用語辞典を端からジックリ読み込んでいって覚え、日経を速読できるように、頭の中にキーワードとして蓄えておこう、などという律儀な姿勢で取り組むと、まず99.9パーセントの方々は、できずに終わって自分の無能さを嘆くことになる。それは、あなたが無能だから、脳味噌のできが悪いからできないのではなくて、方法が間違っているということで、つまり、その方法が能力を開花させるための(アクセル〉だと勘違いして、一生懸命に(ブレーキ〉を踏み込むようなものである。

 

本書の方法は、筆者の独断と偏見に基づくものではなく、新日本速読研究会で全国数万の受講生を対象にデータを収集して、その膨大な資料によって確信を抱くに至ったものである。ぜひ、実行していただきたい。必ず、それなりの成果が得られるはずである。

それでは章を改めて、ビジネスマンにとって重要な、より大きく潜在能力を開花させる方法に筆を進めることにしよう。

→ 日経新聞速読のポイント(技術編)はこちら

→ 第五章 「マルチ人間への道 ‐真に有能なビジネスマンに‐」はこちら

 

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