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第一章 ダイナブックで能力をアップ

ダイナブック速読 ―驚異の能力開発マニュアルはこれだ―

《知恵の中枢》である大脳

生物の脳に、大脳・中脳・小脳・間脳・延髄といった区分があることは、読者の皆さんもよくご存知のことと思う。

さて、文字どおり大脳が最も大きな脳なのかというと、必ずしもそうとはいいきれない。

 

最も下等な脊椎動物である魚類では大脳よりも、むしろ中脳や小脳のほうが大きいので ある。

艇虫類や鳥類になって初めて大脳は小脳の大きさを上回るが、それでもほんのわずか に大きいという程度にすぎない。  大脳が他の脳よりも圧倒的に大きいといえるのは、哺乳類だけである。

 

そして、大脳が大きくなるにつれて、生物の行動の中で本能の占める割合よりも知恵の
占める割合が増えていく。つまり、大脳こそが《知恵の中枢》なのである。

 

そこで大脳が活動するメカニズムを細かく分析し、どういう状態の時に最もよく大脳が働くか、また、どういう状態の時に最も働きが妨げられるかが解明できて、後者の条件をできるだけ排除し、できるだけ前者の条件が整うように持っていけば、人聞はもっと頭が よくなる、ということがいえる。

 

まず、人間の大脳を解剖学的に見てみると、前ページの図のように深いシワで表面一面が覆われており、正中線(人間を正面から見た場合に中心となる対称線)に対応する中央の位置に深い溝がある。

この溝を特に《脳梁》と呼んで、ここを中心に大脳は、ほぽ左右対称の形になっている(顔と同様に、厳密に見れば左右対称ではないが)。

 

最近では特に、脳梁から左側の左半球を《左脳》、右側の右半球を《右脳》と呼ぶように なっている。

また脳梁と直角に交差するように、大脳のほぼ真ん中に上下に走っている、脳梁よりは やや浅い溝があり、これを《中心溝》と呼ぶ。

さらに、この中心溝の前方(額の側)を《前頭葉》、それより背面の後方(大脳の中央部 よりやや後方)を《頭頂葉》、後方にある部分を《後頭葉》、外側溝より斜めに走る下側を 《側頭葉》と呼んでいる。

 

そして、これら様々な領域が全体で様々な作業を受け持っているのではなく、この領域 は視覚、この領域は聴覚、この領域は運動、この領域は言語……というように責任分担を 明確にして働いているのである。 さて、大脳は一見したところ左右対称に見えるが、よくよく見ると厳密に左右対称ではなく、微妙に違っているのは、脳細胞の領域ごとに受け持っている《業務》の内容が全て 異なっているからである。

 

例えば、言語をつかさどっているのは左脳の《言語野》と呼ばれる領域で、これは右脳 には存在しない。

まれに頑固な左利きの人で、左右脳の役割が逆転している人がいるが、そういうの場 合は、言語野が右脳にあって左脳に存在しない、という完全に入れ替わった形になる。

しかし、大脳のこの領域はこういう仕事を受け持っている、ということを正確に述べて 読者の皆さんに知っていただいたところで、あまり意味はない。

 

特にそういったことを知りたい人は、そのことだけを掘り下げて詳細に述べた専門書を読めばいいのであって、あまり詳しく突っ込んでも本書の意図しているところからズレることになるからである。

前ページに、大脳の役割分担を図示した。一般の読者の方々は、この程度のことを承知 しておいてくだされば十分だろうと思う。

 

言語野は左脳にしか存在しないということを述べたが、そのために左脳を特に《言語脳》 と呼ぶことがある。  これに対して右脳は、図のような様々な役割の中でも、特に音楽的な能力を受け持って いるので、《音楽脳》と呼ぶことがある。

大脳生理学・知識工学から見た知的作業中の大脳の働き

さて、どうしてこのような大脳の役割分担がわかってきたかというと、最初は、脳内出血などによって、どういった機能が麻痺して働かなくなるか、という臨床医学的な事実からだった。

 

例えば、左脳が障害を受けると、右半身が麻痺するのと同時に失語症や言語障害に陥り、言葉が不自由になったり、文字が読めなくなったりする。

 

論理的な思考もできなくなって、学者は学者としての生命が失われる。 逆に右脳が障害を受けると、左半身が麻癒するのと同時に音楽的・立体的な感覚や色彩 感覚などが失われる。

言語障害は起きないが、音感が鈍くなり、方向感覚がなくなり、極端な場合には、人の顔を識別することができなくなる。

 

そこで、音楽家や画家は、音楽家・画家としての生命が失われる。加えて近年は、科学的な手段によって大脳の作業領域の判別がさらに正確にできるようになってきた。

 

これは、具体的には《ポジトロン観測》という手法を使う。 人体に悪影響がない程度に微弱な放射能でマークしたブドウ糖を静脈注射し、その後で何かの作業をさせる。

それは、知的な作業であっても、機械的な作業や運動であってもかまわない。

 

そうすると、脳細胞の中でその作業をつかさどっている領域に、マークされたブドウ糖 が主に流れ込む。

その放射能を追跡調査(ポジトロン観測)することによって、脳細胞の作業領域が割り 出されるわけである。

 

このメカニズムを生物学的に説明すると、脳細胞が何らかの活動をする場合には《活動 エネルギー》が必要となる。そのエネルギーの源となる物質の代表的なものが、ブドウ糖
なのである。

 

血液中を運ばれたブドウ糖は、赤血球によって運ばれてきた酸素と融合して酸化され、 二酸化炭素と水に分解される。この時、ブドウ糖の一分子につき、六八八キロカロリー 熱量を出す。

 

ただし、この六八八キロカロリーの熱量の全部が、ストレートに脳細胞の活動エネルギーとなるわけではない。

ブドウ糖の酸化エネルギーは、いったんATP(アデノシン三燐酸)と呼ばれる物質の、 《高エネルギー燐酸結合》と呼ばれる化学結合の部位に蓄えられる。

 

このメカニズムは、生物学に弱い人だったら、ブドウ糖を燃やす《火力発電》によって 得られる熱量をストレートに活動エネルギーとするのではなく、いったんATPという名 の《生体乾電池》に充電し、電流が一定に流れるように使いやすくしておいてから使う、というふうにイメージしてもらうと理解しやすいはずである。

さて、ブドウ糖の一分子が完全燃焼すると、その熱エネルギーによって、三八分子のATPが作り出される。

 

ATP一分子が蓄えられるエネルギー量は約八キロカロリーであるから、三八分子とい うと合計三〇四キロカロリーである。

一方、ブドウ糖の完全燃焼によって発生する熱量は、六八八キロカロリーであるから、 差し引き三八四キロカロリーが失われる計算になる。この熱量は、体温などになる。

 

つまり、活動エネルギーとして有効に使われるのは、約四四パーセントということにな り、残る五六パーセントは単なる熱となって失われるわけであるから、あるいは効率が悪 いように感じる人がいるかもしれない。

しかし、人聞が文化生活のエネルギーを得るために行なっている火力発電や水力発電と比較してみると、このブドウ糖→ATP→活動エネルギーというメカニズムは、実はるかに効率がよいのである。

 

例えば火力発電の場合だと、石炭や石油を燃やして得られる熱量のせいぜい八パーセント程度しか、電力として蓄えることができない。つまり、五倍以上の高効率なのだ。

まあ、そういった数字的な知識は、大学受験の科目で生物を選択する人でもない限り、 忘れてしまってかまわない。

 

大事なのは、人聞が何かについて考えたり、理解したり、覚えたり、といった知的活動で脳細胞を使う場合、それは何か摩詞不思議な神秘的な力によっているのではなく、純粋 に化学的・生物学的に解明できるエネルギーによっている、ということである。

ブドウ糖などのエネルギー源が摂取不足だったり、あるいは酸欠状態で不完全燃焼した りすると、ATPが十分に作られなくなる。

 

そうすると、切れる寸前の乾電池を入れた乾電池式の電卓やシェーバーが、狂った答えを出したり満足に回転しなくなったりするのと同様に、脳細胞も十分な活動を続けることができなくなる。

 

短期的な障害でいうと、頭痛や眠け、読んだ文章の内容が全く頭に入ってこない、読む 片端から抜けていく、というような現象がそうであるし、長期的な障害でいうと、鬱病・ノイローゼ・精神分裂病・老人性痴呆症などがそうである。

また、新環境不適応症の五月病や、OA機器不適応症のテクノストレス症候群も、そう であると考えられる。

右脳型と左脳型では、知的作業中のストレスに大差がある

さて、最近は品川嘉也氏や、藤井康男氏などによって《右脳ブーム》が引き起こされ、 右脳を使えると効果的に記憶できるとか、素晴らしい企画が出てくるとか、色々なことが いわれている。

そして、それに伴って「あの人は右脳型だが、この人は左脳型だ」というようなことも いわれる。

 

ここで定義をしておくと、右脳型というのは「右脳だけを使っている人」という意味で はない。

「知的作業において、右脳と左脳をバランスよく使っている人」ということで、言 葉の定義に正確にいえば、むしろ《全脳型》ということになる。

 

また、左脳型というのは「知的作業において、左脳を偏って使っている人」ということで、決して「右脳を全く使っていない人」という意味ではない。もちろん、社会生活を送っていく上でどちらが有利かといえば、左右脳をバランスよく使っている右脳型に決まっているが、その理由は、どういうところにあるのだろうか?

 

結論を先にいってしまうと、右脳型と左脳型では知的作業に取り組んでいる時の精神的
ストレス(以下、ストレスと略す)に大差があり、左脳型のほうがストレスが大きくて、それに負けやすいのである。

 

例えば、テクノストレス症候群。同じOA機器を扱う職場にいて、就労時間も全く同じ でありながら、決して全員が冒されるわけではなくて、冒される者と冒されずにすむ者というバラツキが出る場合がある。

 

それは、脳細胞の使い方に個々人で微妙な差異があるのが原因なのだ。もっと具体的な例でいえば、数学の計算。左右脳の役割分担を図示したように、通常こ れは、左脳で行なう。

 

ところが、世の中には《暗算名人》と呼ばれる算盤の高段者がいる。こういう人たちの 暗算時の脳細胞の使い方をポジトロン観測してみると、もちろん左脳も使ってはいるが、 それよりもむしろ、右脳の視覚野のほうを重点的に使っているのである。

 

これは、いったいどういうことか?こういう人たちは、まず頭の中に想像で算盤を描き出す。そしてその想像の算盤を動か し、計算をする。

 

実際にそこに算盤が存在しているのと同じくらいに明確な幻影像があって、それを見て いるから、視覚野が活動するわけである。

こういう特技を身につけた人は、計算競争をやると電卓よりもよほど速い。テレビ番組 で、電卓と計算競争をやって勝つ暗算名人を見たことがある人も、読者の中にいるはずで ある。

 

どうして電卓よりも暗算のほうが速くなるかというと、電卓で計算するには実際に指を 動かすからで、いくら頑張っても、指の動きは無制限に速くすることはできない。

指の動きは筋肉に支配されており、筋肉の動くスピードの限界が指の動きの限界となる。

 

たとえどんなに科学的なトレーニングを積んでも、そこに筋肉という《ブレーキ》の要素 が存在する以上、無制限に速くすることはできないのである。

ところが、頭の中で想像の算盤を動かすということになると、筋肉が関与してこない。動かしているのは意識だけである。

 

意識というのは無制限に速くしていくことができる。実際には有限であって、神経電流の流れるスピードを上回ることはできないのであるが、筋肉の動きのノロさと比較したら、無制限だといっても差し支えないくらいの大きな開き がある。

まあ、『東海道中膝栗毛』のように、テクテクと足で歩いて東京から大阪へ向かうのと、新幹線の《ひかり》で向かうことを比較するのと同様の開きだ、といってもいいだろう。

 

だから、電車との比較でなく、算盤との比較であっても、もし計算する数値が暗算能力の範囲内にあれば、実際に算盤の玉を動かして計算するよりも暗算のほうが速い、ということにもなる。

 

意識だけを使った場合には非常な高スピードで情報を処理することができるが、そこに 筋肉というブレーキの要素が絡むと、情報処理は極端にスピードが落ちる、ということを 一つの特徴として覚えておいてほしい。

ストレスが大脳の血のめぐりを悪くして、左脳型に変えている

とにかく、知的な作業に取り組んでいる時のストレスは、右脳型よりも左脳型のほうが 大きい。

これは、左脳型だからストレスが大きいのか、ストレスが大きいと左脳型になるのか、実は《ニワトリと卵》のような相互に影響し合う関係にあるのだ。

 

そのことの証明のために、左の図を見てほしい。 何の意味もない黒丸が、ページ全体にズラリと並んでいる。さて、あなたは、いちばん上の端の黒丸を見て、そこに視点を固定したままの状態で、いちばん下の端の黒丸を識別 することができるだろうか?

 

たいていの人は識別することができるはずだが、中にはド近眼で、下から二つ分ぐらいの黒丸がボケてしまう、という人がいるかもしれない。

 

そういう人でも、中央付近の黒丸を見て、そこに視点を固定したままの状態で上下左右の四隅の黒丸を識別することができるだろうか、と問い直せば、識別できるはずである。

 

それでは今度は、活字だけのぺージ(このぺージでもよい)に視線を転じ、活字を意味のない黒丸だと思って、同じ識別作業をやってみてほしい。

 

あなたは、いちばん上端の文字を見て、そこに視点を固定したままの状態で、いちばん下端の文字が何という文字か、識別することができるだろうか?

ガラリと一転して、識別できる人は滅多にいないはずである。そこで、ちょっとばかり難しさのレベルを下げることにしよう。

中央付近の文字を見て、そこに視点を固定したままの状態で、上下左右の四隅の文字が何という文字であるか、識別することができるだろうか?やはりこれも、識別できる人は滅多にいないはずである。

 

それでは、もっとやさしく、ただの一行だけを見ることにして、ある長い行の中央付近の文字を見、そこに視点を固定したままの状態で、上下の端の文字を識別することができるだろうか?

 

これでもまだ、識別できる人は滅多にいないはずである。  大多数の人は視点を固定した位置を中心に、せいぜい多くて、上下の五〜七文字ぐらい しか識別できないだろうと思う。

無意味な黒丸なら広範囲が見渡せるのに、意味を持っている文字が対象になると非常に狭い範囲しか識別することができない。

 

これは実は、無意味な黒丸を見ている時にはストレスがないのに、文字を見ている時に はストレスが発生して、それが原因となって視野が狭まったのである。

 

しかし、大多数の人は、「文字を見るとストレスに襲われる」などといわれてもピンとこないだろうから、ちょっとそのことを論証していくことにしたい。

 

あなたは何かスポーツに取り組んだ経験があるだろうか? 全く経験がない、という人 は少ないはずなので、初めて何かのスポーツに取り組んだ初心者当時のことを思い出してほしい。

初心者の時には、体の動かし方のコツが十分に把握できていないから、頭で考え考え、意識の力を使って手足を動かす。

 

そうすると「早く覚えたい」という意識がプレッシャーとなって襲いかかり、手のこと を考えた時には足のことが考えられず、足のことを考えた時には手のことが考えられない、 という状態になる。

 

もちろん、プレッシャーはストレスの大きな原因となるわけで、人間はストレス時には、このように意識を広範囲にまんべんなく行き渡らせる、ということが困難になり、偏った狭い範囲にしか、意識を向けられなくなる。

 

文字を見ると、視野が狭められて狭い範囲しか識別できなくなるのは、ストレスが作用 しているのである。というよりは、ストレス時に起きる自律神経の作用を意識の絞り込み のために援用しているといったほうがいいかもしれない。

 

同様の現象が、耳から入ってくる音の世界でも起きる。  例えば、あなたが喫茶店やホテルのロビーで、待ち合わせの相手がやってくるのを一人で待っている状況を想像してほしい。

 

そうすると、周囲の席の客の話し声、ウエートレスが注文をとる声、電話をかけている 人の声、BGM、外の道路を走る自動車の音など、みんな耳に入って聞こえてくる。

 

ところが、いよいよ待ち合わせの相手がやってきて、話に熱中し始めたとする。途端に、 話し相手の声以外の話し声や、BGM、建物の外の雑音の類は、かき消したように耳に入らなくなる。

 

様々な音が広角度から入ってくる時には、ストレスがない。しかし、自分の話し相手と いう限られた一方向からしか音(声)が入ってこなくなった時には、ストレスがある。

 

もちろん、これも真のストレスではなく、ストレス時の自律神経の作用を意識の絞り込みのために援用しているにすぎないわけであるが、人体内で起きている生理的な現象は同じである。そこに問題がある。

 

ここで、自律神経といわれてもピンとこない人のために簡単に説明すると、人間の神経の中には、特に考えて作動させようとしなくても自動的に活動を続けている神経がある。

 

それが自律神経で、さらにその自律神経は、交感神経と副交感神経という二つの対立した神経系に分けられる。そして前述のストレス時には、交感神経が主導権を握って活動する。

交感神経というのは、端的にいうと《戦闘準備行動》および《逃走行動》を支配する神経で、副交感神経はそれに対して、休息時の行動を支配する神経である。

交感神経が主導権を握ったストレス時の人体の生理的反応を箇条書きにすると、おおよ そ、次のようになる。

 

1. 呼吸が速く浅く、また、心臓の拍動が速くなる。
2. 瞳孔が拡大する。
3. 立毛筋(首筋あたりの筋肉)が収縮する
4. 血糖値と血圧が上昇する。
5. 消化器系・排出系の内臓の働きが抑制される。
6. 末梢の動脈が細く収縮する。

 

地球上に人類が誕生して以来の流れを振り返ってみると、《文化文明》と呼べるものを持つようになったのは、ほんのつい最近のことで、大部分は文明以前、歴史として記録が残される以前の状態にあった時代が占めている。

 

そこで、実は人間の肉体を支配している生理的な反応も、ほとんどが今もって先史時代の非文明の状態に適応したままになっているのである。

 

中でも、交感神経が主導権を握った《戦闘準備反応》がその典型で、人類史の大部分において、戦うとは、ミサイルや銃火器はおろか弓矢程度の飛び道具さえもなく、せいぜい 棍棒を使っての、要するに肉体(筋肉)を極限まで酷使することであった。

「4.」の血糖値が上昇するのは、手足の筋肉を動かした時に主たるエネルギー源となるのはブドウ糖であるから、肝臓や筋肉中にグリコーゲンとして蓄えられていたものを分解して血液中に放出し、エネルギーの消耗に備えるためである。

「1.」の呼吸が速くなるのは酸素の摂取量を増やすため、心臓の拍動が速くなるのは全身に血液を送り出すスピードを上げるためで、すなわち、酷使する組織にエネルギー源と、それを燃やすための酸素を速やかに補給するためである。また、「4.」の血圧が上昇するのも同様の理由である。

 

「2.」の瞳孔が拡大するのは、先史時代の戦闘は明るい場所より暗い場所で行なわれることのほうが多かったので、暗がりでもよく敵の姿を見極められるよう、瞳孔が拡大するのである。

 

「3.」の立毛筋が収縮するのは、髪の毛(たてがみ)を逆立てて少しでも自分の姿を大きく恐ろしげに見せて敵を威嚇するためで、犬や猫が怒った時も同様の反応を起こす。

「3.」の消化器系・排出系の内臓の働きが抑制されるのは、戦闘中に空腹を覚えたり、便意・尿意を覚えていたのでは戦いに集中できなくなって敗れる(古代においては、敗れる=死であった)危険性が大きくなるので、それを防ぐためである。
さて、ここまでが交感神経が作動するに際しての第一次反応(真っ先に起こる反応)で、内容的にまさしく《戦闘準備行動》と呼ぶことができる。そしてこれは、意識の絞り込み(意識の集中)には関係がない。これに続く、第二次反応(ストレスがより強まった時の反応)が二つある。

 

まず、「6.」の末梢の動脈が細く収縮する現象がそれで、古代の戦闘は肉弾戦であるから、どうしても負傷がつきものである。
その際、肉体を酷使するには血行がよくなければならず、血行をよくするには、動脈が太く広がっていたほうがよい理屈であるが、動脈が太く広がりっぱなしになっていては、負傷して血管壁が破れたり切れたりした時に大量出血して、生命の危険が生じる。

 

そこで、負傷時の出血量を最小限に抑えるために動脈が細く収縮し、血行を悪化させるという逆行性の反応を起こす。

 

また、①の呼吸が浅くなるのも逆行性の反応の一つである。これは、戦いに敗れて逃走に移った時に、ゼエゼエ深い呼吸をしていたのでは、呼吸音から敵に居場所を察知される危険性が大きくなるので、少しでもその要素を小さくするためである。

 

動脈が細く収縮すればエネルギー源を供給する《パイプライン》が絞られるわけであるから、ブドウ糖や酸素が、筋肉などの《活動現場》である組織に送り込まれる供給効率が低下するし、呼吸が浅くなれば肺に入ってくる酸素の量が滅って、やはり酸素の供給効率が低下する。

このように第二次の反応は、活発な活動に備えてエネルギー源や酸素を送り込む効率をよくする、という本来の目的に反したものになる。しかし、第一次・第二次という分け方をしたように、両者は同時に起こるわけではなく、まず第一次の《戦闘準備反応》が起き、形勢が不利な状況に追い込まれたと判断すると、第二次の《逃走反応》のスイッチが入るわけである。

ところが、文化文明を持つようになり、人聞が肉体酷使の原始的な戦闘と縁が薄くなり、もっぱら知的なことに頭脳を使うようになって負傷出血など生命の危険がなくなっても、この第二次の《逃走反応》のスイッチが、本人の意に反して入ってしまうことがある。

平素は十分な実力があるのに、本番の試験となると緊張してアガってしまい、ほとんど実力を発揮できないで終わってしまう、というタイプの人が世の中にはよくいる。

これは、動脈が細く収縮してエネルギー源も酸素も十分に脳細胞に供給されなくなり、ATP切れになってしまって、電池切れの電卓同様、記憶を引き出したり与えられた情報を基に推論する、というような思考回路が、満足に働かなくなってしまったのである。

 

これが、ストレスのもたらす最大の弊害で、このメカニズムが、文字を読もうとした時や、特定の話し相手と熱心に話し始めた場合にも、援用して使われてしまう、それが問題なのである。

 

例えば、喫茶店で人を待っている時には周囲の音がよく聞こえたのが、いよいよ相手がやってきて話し始め、意識が集中すると遮断されたように周囲の音が聞こえなくなるのは、それまで周囲の音を聞き分けるスイッチがONに入っていたのが、OFFに切り替えられたということであるが、もちろん人間の大脳の中に電気器具のような明確なスイッチが存在しているわけではない。

 

そこで、スイッチを切るには、どうするのかというと、動脈を細く収縮させて血行量を減らし、ブドウ糖や酸素が十分に供給されないようにして、それまで活動していた脳細胞が活動できないようにしてしまうのである。

 

ところが、これは今も述べた、交感神経の第二次反応である《逃走反応》の状態と酷似している。酷似しているというよりは、同じメカニズムを転用・援用しているのである。

 

だから文字を読もうとした時、待ち合わせ相手と会って熱心に話し始めた時には、本人がストレスを感じていようといまいと、強いストレスに襲われたのと同一の生理的な状態に肉体が置かれるのである。

 

さて、文字を読もうとすると視野を絞り込んで狭い範囲しか見なくなる(広角度を見ていたスイッチをOFFにしてしまう)原因は何かと考えると、《条件反射》の一種なのである。

 

そして、この条件反射の起きる度合には個人差があり、それが、思うように右脳を使いこなせないように潜在能力のスイッチを切ってしまう人(左脳型)と、それほど苦労なく右脳を使いこなせる人(右脳型)という違いが生じる原因になっている。

 

右脳型の人ほど、この「視野狭窄の条件反射」を起こす度合が弱く、人によってはまれにほとんど起こさない場合もある。
さて、この文字を読もうとすると視野を狭窄させてしまう条件反射が起きる端緒は、一つは小学校時代の音読教育にあるものと思われる。

 

どういうことかというと、小学校の授業では「生徒が教科書を、正しい読み方で読んでいるかどうか?」をチェックするために、先生は、まず最初の段階で音読をさせる。

 

幼時からの英才教育を心がけている家庭では、母親がさらにこの役目を担っている場合もある。

これは生徒(子供)に正しい文字の読み方を覚えさせるには、どうしても踏まなければならない、省くべからざる手順である。

 

ところが、例えばピアノやエレクトーンのような鍵盤楽器だと、いっぺんに鍵盤に十指を叩きつければ、同時に一〇音を出すことができる。

しかし、人間の声帯というのは管楽器が音を出すメカニズムと同じで、一度に二つ以上の音を発することができない構造になっている。

 

そこで音読となると、文字を端から一つずつ、順番に読んでいくことになる。こういう情報処理の方式を、《直列処理》と呼ぶ。それに対して前述のいっぺんに一〇音を鳴らすような方式は、《並列処理》である。

 

やがて読書カがついてきて、文字を正しい読み方で読むようになり、いちいち音読する必要がなくなって黙読に切り替えるようになってからも、英語などの外国語を学ぶ時には音読をさせることもあって、そのまま従来の習慣が「文字は端から順番に読んでいくもの」という条件反射として残る。

 

そうすると、その時点で意味を読み取っている対象の文字以外の文字は、見ても意味がないわけであるから、大多数の人は視野に入って網膜に映っていても見ないように《意識の視野》から除外してしまう。

 

これが文字でなく、喫茶店での会話などの場合だと、その気になれば、相手の声を聞きながらでも、隣席の客の話し声やBGMを聞くことができる。ところが文字が相手だと、できない。

 

「意味のある文字だと思わず、無意味な模様だと思って広い範囲の文字を識別するようにしてみてください」といわれでも、できる人は例外的少数である。これは、それだけ強い条件反射が起きている、ということになる。

 

ここで、読者の皆さんの中には、こういう疑問を持った人がいるかもしれない。

 

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