ビジネスに役立つ速読法
さて、日経新聞の読み方については、本書では、あくまでも〈付録〉であって、主目的は〈いかに日経を速読して、ビジネスに役立てるか〉ということにあるから、そういった日経の読み方の指導書については、「日本経済新聞の読み方」(日下公人著・ごま書房)などの名著があるので、そういったものを併せてお読み願いたい。
特に、日経を速読する、という視点で考えると、「続・日本経済新聞の読み方」のほうがすぐれていると思う。
それでは、いよいよ、日経の情報を丸活用するための、より高度な速読法に筆を進めていくことにする。
ところで、二章でも述べたように、日経は毎日毎日、目を通すだけでなく、週に一度まとめて、とか、月に一度まとめて、といった固めた読み方をしなければならない部分がある。
つまり、読んだ片端から忘れてしまっては困るわけで、全部とはいわないまでも、主要部分が記憶の端に引っかかって残っていてくれなくてはならない。
そこで、どうしても速読するだけでなく、記憶しておくテクニックも要求される。
速読と記憶術の関係、速読を記憶にどう結合させるか、といった視点も併せて、本章をまとめることにしたい。
記憶力は強化できると思うべからず
速読法ということに関しては、誤解している人が非常に多いので、ここで念を押しておくと、速読法のトレーニングを積むことによって記憶力が何倍かに強化される、という希望は持たないほうがいい。
速読するのと同時に、書かれている内容が一発必中で党えられるようには、まず、ならないのである。
あなたは、内容を党えようという意志を持って本を読んだ時(たとえば受験生にとっての参考書などがそうであるが)に、何度ぐらいの反復読み返しをすれば全部を党えることができるだろうか?
記憶力抜群で一度で覚えられる人、二度か三度で覚えられる人、二十度も三十度も読み返さなくては覚えられない人というように。人様々であるが、速読法を身につけたとしても、その状態はほぼ維持される。
テレビに出てきて速読の実演をやり、一度パラパラツとページをめくっただけで内容を問われて答えられる人は、速読法を身につける以前から、読み終えるまでの時間に大きな隔たりはあるが、とにかく読んだものを一度で要約できる能力を持っていたのだ。
世の大多数の人は、たとえば面白い小説を読み終えた時に、「ああ、面白かった!」といって本を閉じて、それでは、と人から内容について質問されると、ロクに答えられないものである。
それとまったく同じ状態が。速読法を身につけたとしても維持される。ただ、内容の理解力・把握力が落ちず、読み終えるまでの時間が以前の数分の一以下に短縮される、というように考えておいていただきたい。
記憶術と速憶術の違いとは
新日本速読研究会では、速読のテクニックをフル活用しての記憶術を、従来の記憶術とはまったく異なっているので、(速憶術〉と呼ぶことにしている。
従来の記憶術というのは、筆者の知る限りでは全部が、記憶すべき事項をある特定のイメージとに直結させる(ある概念からあるイメージを情景として脳裏に思い浮かべるか、あるイメージからそれに結合する概念を思い起こすかの双方向がある)ことによって一発必中で覚えてしまうテクニックである。
こういった記憶術の筆者たちは、イメージを脳裏に思い描くことはだれでもできると錯覚して
いるが、それは「自分ができたことは他人もできる」という思い込みで、新日本速読研究会の情報収集力を駆使して調べた結果では、記憶術として役立てられそうなイメージカを持っている人は、日本人の場合、せいぜい5パーセント程度である。
たとえば、あなたは道でだれかとスレ違って、後でそれが重大事件の犯人だと判明して、警察からモンタージュ写真の作成に協力を依頼され、力を出すことができるだろうか?すなわち、道でスレ違った人物の容貌を、しばらく時間が経過してから、脳裏に鮮明に思い描くことができるだろうか?
できないのであれば、存在しないものをこじつけて脳裏にイメージするどころか、実在するものさえ回想できないわけであるから、あなたにはイメージカがない、ということになる。
実は、そのイメージカの差によって、読んだ本の内容を二度か三度の読み返しで党えられる人、十度も二十度も読み返さなくては頭に入らない人、といった違いが出てくるのである。
後者の場合、速読法を身につけることによって多少は記憶力も強化されるが、とうてい一発必中で内容を覚えられるところまでは向上しない。
たとえば鈍足で、100メートルを走るのに、どうしても18秒とか20秒かかる人がいる。そういう人に、筋力トレーニングなどを積ませ、よいコーチをつけてフォームを矯正したら、100メートル13秒ぐらいまでは、タイムを短縮できるだろう。
しかし、元々その素質がないのであるから、どう鍛えようが、絶対にカールールイスやフローレンス・ジョイナーと並んで走れる走力まで向上することは期待できない。速読法を身につける以前で、覚えるまでに十度の読み返しを必要としていた人は、身につけた後もやはり十度の読み返しを(うまくいっても八度とか九度の読み返しを)必要とするだろう。
しかし、速読法によって読書スピードが10倍になっていれば、十度の読み返しをしても時間的にはそれまでの一度分にすぎないことになる。結果として記憶できるまでの所要時間が大幅に短縮されるから、速憶術なのである。
これまでの記憶術と異なり、なにか要領のようなものを要求しない、とにかく覚えるまでひたすらスイッチバックして繰り返して、なお以前よりも時間を短縮する、それが端的にいって速憶術ということなのである。
理解力とは短期の記憶力なり
さて、もう少し記憶と速読の関係について続けると、本や新聞を読んで内容を理解することはできるのだが、どうしても後々まで記憶することができない、という人がいる。
せっかく通勤電車の中で日経を読み終えることができたとしても、会社について同僚との話題にしようとしたら、全部を忘れてしまっていた、では、お話にならない。
ところが理解力とは実は、記憶力と不可分一体のものなのである。
たとえば、あなたが読んでいる文章が3行で成り立っているとして、2行目、3行囗に差しか
かった時に、通り過ぎてしまった1行目の文章を忘れてしまうようでは、その人は文章を読んでも内容を理解することができない。
法律家の書く文章(裁判の判決文など)が素人には理解しづらいのは、句点がこずに、いつまでもタラタラと長く続き、ようやく句点がきた時には、最初のほうを忘れてしまっているからで、また改めて最初から読み返す、ということになるが。今度は、結末のほうを忘れてしまって、いつまでも堂々巡りを繰り返すことになる。
文章を読み終えても最初のほうを覚えているだけの記憶力を備えているからこそ、その人は内容を理解することができるわけで、理解力とは即ち、短期の記憶力である、ということができる。
この、きわめて短時間で消滅してしまう始末の悪い〈短期記憶力〉の持続時問を、記憶術とはいかないまでも、もう少し長くする訓練方法はないものだろうか。
そういう悩みを持っている人は多いに違いないが、実は、その回答が速読法で、だから速読法を身につけることによって多少は記憶力が強化される、と書いたのである。
使う機能は発達し、使わない機能は衰える
機械は使えば使うほど摩耗してくるが、人間は生物であるから、手足の筋肉はよく使えば発達し、使わなければやせ衰えてくる。
実は、記憶力に関しても同じことがいえるのであるが、さて、どういうことが記憶力のトレーニングになり、どういうことが記憶力を衰えさせることになるかというと、大多数の方が大きな誤解をして、まるで正反対のことをしているのが実態である。
たとえば、ある文章や英単語をみせられ、その文章や単語を覚えてください、といわれた時、たいていの人は「うん、覚えた」という自信が芽生えるまで、与えられた文章なり単語なりを、ずっと凝視するだろうと思う。
ところが、こういうふうに記憶に取り組めば取り組むほど、本人の願望と意図に反して、記憶力はどんどん衰えていってしまうのだ。 記憶とは、その物の形などを脳裏に焼きつけることであるが、凝視している限りは目の前にその物がみえているわけであるから、べつに形を脳裏に焼きつけてまで覚える必要性が生じない。
そこで、記憶力は意に反して、衰えていくことになる。
記憶力を鍛えるには、みている対象を脳裏に焼きつけることが必要な状況を、強制的に生じさせてやらなくてはならない。
そのためには、党えるべき物をみたら素早く隠してしまい、視界に入らないようにするのである。みる時間は、できるだけ短く、これが記憶力を鍛錬するコツで、最初はまったくなにも覚えることができない(だから、大多数の記憶力に自信のない人は、そこで投げ出してしまう)が、やがて必要に迫られて記憶力が高まってくる。
速読が記憶力強化の始まり
もう、ここで飲み込みの早い人だったら、記憶力の強化方法の回答の一つが速読法だ、ということが理解できただろうと思う。
読むのが速ければ速いほど、それに比例して文章を構成している個々の文字をみている時間は短いことになる。
みている時間が短ければ、脳としては必要が生じるので、それに逆比例して読み取った文字情報が残像として脳裏に留まっている時間、すなわち短期の記憶の持続時間を長くする必要が生じてくる。
だから、文章を速く読めば読むほど、自然に、そのトレーニングを実行しているわけであるから、読んだ文章内容を記憶しておく能力は高まってくる。
読むのが速いから読む量が多い、また、短期の記憶力が鍛えられて持続時間が長くなるから覚えるためには数度の読み返しですむ、という相乗効果で、読むのが遅い者との蓄積情報量の差は、どんどん広がっていく。
記憶力が悪い者は、ゆっくり読んでいたら、いよいよもって持てる潜在能力を怠けさせることになるわけで、その状態を克服しようと思ったら、いったんは理解力が低下しても、できる限り速く読む訓練を積まなければならない。
要するに、理解しながら読む実際的な読み方のほかに、理解できないまま読むことを訓練として実行しなければならない、ということである。
理解不能のスピードを《捨て駒》とする
ここで。第一章の末尾で紹介した、〈上下二点以外読まず訓練〉を中心とした、簡単に修得できる初級の即席速読法のことを思い出していただきたい。
上下の目印の■だけをみて、間に挟まっている文章は読まない、という実にパカげた、知的な人にはとうてい受け入れ難い訓練が、修俳の骨格になっていた。
それにも関わらず、どうして初級程度の速読法が即席に身についてしまうのかというと、いくら間の文章を読まないといっても、上の■から下の■へ視線が飛ぶ間に文章が視野を通過する格好になる。そうすると、人間は本能的にそれを残像として脳裏に留めようとして、無意識のうちに行動する。
これまでの読み方と比較し、あまりにも通過時間が速くて、作られた残像も持続せずに消えてしまうために自覚できないが、この刺激を受けたことによって、多少は短期の記憶が消滅するまでの時間が、引き延ばされるのである。
その、引き延ばされた時間が2倍であれば、その人は2倍の速度で文章を読んで内容が理解でき。3倍であれば、3倍の速度で読んで理解できる、ということになる。
このように理解力、記憶力を向上させるためには、理解不能のスピードで、単に視野を通過させる、というバカバカしい訓練を一種の(捨て駒〉として導入することが不可欠なのである。
この原理に気づけば、だれでも速読法を修得することができ、それを手がかり足がかりとして、速憶法にまで高めることができる。
電子手帳などの最新機器を訓練機材として利用する
さて、こうやって考えてみると、本や新聞、雑誌というものは、文字が印刷されていて消えないわけであるから、読書能力を高め、記憶力を高めるための訓練道具として用いるには、まことに不便なものである。
訓練のためには、みる時間を短縮していかなければならないのだが、印刷された文字は強制的に視線を動かすか、ページをめくってしまわない限り視野から消えてくれないからである。
そこで、新日本速読研究会では、訓練機材としてはパソコンやビデオ、集団の企業研修などでは軽便な電子手帳を用いている。画面に現れてくる文字を、設定値を変更することによって様々なスピードで出し、消すことができるからである。
パソコンやビデオ、電子手帳の訓練で、次第に負荷を大きくしていく(文字が現れては消えるまでの時間を短縮していく)ことによって、最初はまったく読み取れなかったほどの猛スピードでも、楽に文章が読めるようになる。
「上げては落とし」が上達の秘訣
もっとも、徐々に負荷を大きくしていく。つまり、一方的にスピードを読み取り可能なレベルから上げていくだけでは、たいした進歩は期待できない。
たとえば、分速400文字の読書能力の人を、分速500文字とか600文字のレベルで訓練していたら、いつまで経ってもその範囲でウロウロしていることになる。
ここに、ジョイント速読法としてのノウハウがあるのであるが、常識に反して、一気に分速1,000文字、2,000文字のレベルに上げていくのである。
そうすると、段違いにレベルが違うので、最初はまるで読み取れないが、視野に入ったものを残像として脳裏に残そうとする本能の働きによって、短期の記憶が持続する時間が引き延ばされる。
そこで。分速400文字の能力の人に分速1,000文字の文章を読ませれば、当然のことながら読めない。それをさらに分速2,000文字に上げてから、分速1,000文字に落としてみる。そうすると、大多数の人が楽に読み取れるようになっている。
一気に読書能力が2.5倍になったわけであるが、これだけの潜在能力のジャンプが、早ければ、ほんの10数分で達成できる。
この原理は第一章でも触れたように、あなたが車を一般道路で時速60キロで運転していて、高速道路に上がり、しばらく時速120キロで走行した後に一般道路に降り、メーターをみないで時速60キロで走行してくれ、と注文を出すと、まず、たいていの人が時速80キロ程度にまでにしか落とせな い。
要するに、必要に迫られて潜在能力が活性化され、目の前を過ぎる光景を脳裏に刻むまでの時間が短縮されるのである。
この訓練方式で分速1,000文字が読み取れないごく少数の人は、高速に上げた時、どんどん両面から消えていく文字のペースに、ついていききれない(訓練文が消えるまでに最後の文字まで目を走らせることができない)人である。
具体的には、視力が0.1以下といった目の悪い人に多くこの〈取り残され現象〉がみられる。
前述の車のたとえでいえば、性能の悪い軽自動車を運転していて、高速道路に上がり、いくら目一杯にアクセルを踏み込んでも、どうしても80キロしか出ないというようなものである。
それでは、また一般道路に降りた時にメーターをみずに、気づかず80キロで走行してしまう錯覚は、当然の話、起こりえない。そういう人でも、頭のできが悪いのではなく、要するに目が運動不足なだけであるから、訓練に数日をかけて、二度三度と、上げては落としの工程を反復している間に読書能力が次第に向上していく。
長年の条件反射をいかに一克服するか
さて、分速400文字の人が、2.5倍の分速1,000文字で読めるようになったとして、パソコンを使って強制的に分速1,000文字で出てくる文章を読ませる訓練では、読み続けることができる。
ところが、いざ強制を外して、自分のペースで読む白主訓練に切り替えると、そのまま分速1,000のペースを維持できる人もいるが、半数ぐらいの人が徐々に分速1,000文字を切り、900文字、800文字と次第に落ちていって、そのあたりで留まる人、さらには700、600文字レベルまで落ちる人も中には現れる。
その理由であるが、長い間、文章を読む時には、文字を一文字ずつ丁寧に追って読んでいくという習性が、一種の条件反射として身についてしまっているので、自分のペースになった途端に、再びそれが首をもたげてくるのである。
そして、視野が狭まり、その時点で意味を読み取っている対象の文字しかみなくなる。
強制訓練の最中では、実体験していただけば即座にわかることであるが、猛スピードの文字に置いていかれまいとすると、かなりの広範囲をみるようになるのである。
さて、強制を外されたことによって、元の逐語読みに戻ると、それと同時に、せっかく一時的に引き延ばされた短期の記憶の持続時間も、元の木阿弥になってしまう。
速読法の訓練を受けたが、あんまり速くなった実感が起きない、時計で計測してみても、やはりそれほどではないという人の中には、こういうタイプが多い。
要するに、初速はある程度は速いのだが、どんどん元の〈悪習〉へと引きずり戻されてペースダウンしていき、 本人がそれを自覚していないのである。
この、長年の条件反射をいかに克服するか、これは、速読法を一時的に修得するよりもはるかに難しく、訓練を続けることによって、逐語読みではない読み方がいちばん楽で自然だという状態に持っていくしかない。
これは、スポーツで、自己流の悪いフォームで固まってしまった人に正しいフォームを教え込むのと似たようなものだから、それなりの時間がかかり、また、個人差もあって、いちがいに「このくらいの時間で」とは断言できない。
しかし、何年もかかる、というほど困難なものではなく、だいたい数週間から最長でも3ヵ月ぐらいの間には身についてしまうものなのだ。
パソコン、VTRを使った訓練
NECの9800以上のパソコンをお持ちの方は、速読法独習用のパソコンソフトが発売されているので、それをお求めのうえ、前述の(上げては落とし〉の要領で訓練に取り組んでいただけば、だいたい閧違いなく、速読法を修得することができる。
そして、速読法が速憶法への端緒となる。
ビデオデッキしかお持ちでない方は、ビデオ教材でも修得できるが、扱いがちょっと厄介である。つまり、訓練としては、文字の現れるスピードを上げたり落としたりする必要があるのだが、ビデオでは、あいにくパソコンのように簡単に画面に現れるスピードを変化させることができない。
まるで読み取れない猛スピードのレベル、やや読み取るのがキツいレベル、と何度もデッキにカセットを入れ換える作業が必要である。
このように、スピード調節が簡単にできないのがVTR教材の欠点で、10数倍の高速の教材を読めるようになるためには、まるで読めない数10倍の猛スピードのものをみたうえで、ややスピードの落ちたものをみるというように高低高低高低……とスピードの違いをつけて交互にみるようにしつつ、徐々に低のほうのレベルを〈底上げ〉していってもらう。
そうすると、まったく読めない超高速の教材をみている間に潜在能力が刺激されて目覚め、短期の記憶の持続時間が引き延ばされて、低スピードの教材(それでも日本人の平均読書能力の数倍から10数倍に設定されている)が次第に読めるようになってくる。
高スピードの教材は、低スピードの教材を読めるようになるための、いわば〈捨て石〉として使うわけである。
だから、教材の中の最高速のものまで読めるようになる、とは、ビデオ教材をお求めになる方は、期待しないでいただきたい。
ワープロを使った訓練
さて、最近はワープロが普及してきたので、パソコンは持っていないが、ワープロならばある、という人も多いだろうと思う。そこで、ワープロを利用した補助訓練を紹介しておく。
まず、ワープロの限度一杯の文書を打ち込む。そして、改ページ機能を利用し、どんどん改ページしていく、そのペースに取り残されないように、とにかく画面に現れる全部の文字をみてしまう、ということをやる。
ワープロは機種によって画面に現れる文字数が異なるから、どのくらいで改ページする、というように、具体的な数字は書けないが、たとえば、最初は3秒ごとに改ページし、次は1.5秒ごとに改ページするというように、改ページのペースを上げていく。
画面に現れる文字数の少ない機種ほど、早めに改ページするようにしていただきたい。
たとえば、1行40文字で20行が表示できる機種だと、800文字を3秒でみるということに
なり、分速に換算して16,000文字である。
何度も述べるように、日本人の平均が分速400文字で、速くても分速1,000文字であるから、こんな桁違いのスピードで改ページしたら、内容を読んで理解するどころではない。
そこで、とにかく両面に現れる全文字を視野に入れる(なんという文字なのか、識別可能状態でみる)。
要するに、自分の持っている視野を目にみえない〈黒板拭き〉だと考え、それで画面の全文字を消し去るような感党の動かし方をするわけである。最初は、分速16,000文字というようなハイペースでは、まず大多数の大が、画面の最後まではいかないはずである。
これまた、何度も述べることであるが、裸眼視力に関係があって、1.0以上の人だと何度か練習しているうちに最後までいくようになるが、0.0……というように〈ダプルーオー視力〉の方だと、いくらやっても、最初の数日は分速8,000文字ぐらいのペースが、せいぜいである。
メガネやコンタクトで矯正した後の視力がいくつあるかは、関係がない。
たとえば、陸上の100メートルを走った時に、11秒で走れる人もいれば、鈍足でどうしても18秒かかる人もいる。
その両者に、「100メートルを15秒のペースで走りながら、まわりの景色や人の様子を観察してください」という注文を出すと、11秒で走れる人には造作のない注文だが、18秒の人には全力でもそれだけかかるのだから、最初から無理な注文である。
全部の文字を消せると考えて、想像のうえで消し去る
それと同様の理屈で、文字を単に視野に入れて識別するだけの作業で、分速8,000文字の壁を越えられない人は、当然の話、それを上回る分速10,000文字のベースで、読んで内容を理解することは、不可能である。
だが、視野に入れるだけなら分速16,000文字が可能という人は、訓練を積んでいけば、やがて分速10,000文字ペースで読んでも、内容を理解できるようになる可能性がある理屈である。
実際には読んで内容を理解することが可能なペースは、単に全文字を視野に入れるだけのペースの、4分の1前後に落ち着くようだ。
この、単に全文字を視野に入れる、という訓練は、スポーツにおける筋力トレーニングとよく似ている部分がある。
視力のよい人でも初日では分速15,000文字前後が限界だが、訓練を積むにしたがってスピードに慣れ、また視野自体も広がってくるので、分速50,000文字とか100,000文字、あるいはそれ以上のペースでも訓練を実行できるようになる。
そうすると、その4分の1前後のスピードでは、読んで文章内容を明確に理解することができるわけであるから、分速10,000文字とか、20,000文字という驚異的なスピードが可能になる。分速10,000文字、というのは、普通の文庫本や、新書の1ページを3秒で読んでいく、というスピードで、ご存知ない方だと(途方もない〉レベルだと感じられると思うが、これを野球にたとえるとすると、訓練を積んでいれば、ほとんどだれでも到達できる、草野球のレベルである。
こういった補助教材を使って、上げては(単に文字を視野に入れる)落とし(理解力の限度ギリギリのスピードで読む)の訓練を反復していると、次第に(人によっては急速に)理解力が底上げされていく現象が起きる。
つまり、本物の速読法が修得できた、ということになる。
文章だけでは飲み込めない人が多いと思うので、一応、次に視線の動かし方を図示することにしよう。
しかし、必ずこのとおりに動かせ、という性質のものではない。たとえば黒板の文字を消すのに、黒板ふきの動かし方のルールや公式といったものが、あるだろうか?要するに消えさえすればいいので、効率的な動かし方は自ずと決まってくる。
]速読法における目の動かし方も同様で、要するに全部の文字を明確に識別できる状態で視野に入れるということであるから、視線の軌跡は黒板拭きの動かし方の軌跡と類似のものになる。そう考えただけで、視線の動かし方は相当に速くなるはずである。
上達度を自覚できないのが速読法
さて、パソコンやVTR教材、また、ここに述べたような方法でトレーニングして速読できるようになったとして、まだ経験されていない読者諸氏としては〈世界が一変する〉ような先入観を持たれるだろう と思う。
ところが、期待に反して、本人の自覚としては、ほとんど「速くなった!」という感覚がわい
てこない。
ただ、ページ数から考えて、それまで2時間はかかっていたはずの本が30分で読めるようになったとか、同じ文献を他人と並んで読み始めて、自分がとっくに読み終わったのに隣の奴は半分も読んでいなくてイライラする、とか、そういう変わり方である。
だから、自分の上達度を知るためには時間を測定し、単位時間あたりの文字数を計算し、分速何文字であるかを確認するしかない。
これは、人間は基本体力に関わる部分で能力が向上した場合は、それを明確に自覚することができないという現象の一種なのである。
ピンとこない人のために説明すると、たとえば小学生、中学生、高校生が運動会に出て短距離走で一生懸命に走った状況を想像していただきたい。
本人の気持ちとしてはまったく同じ一生懸命であるが、所要タイムは明らかに年齢が上がるにしたがって、どんどん短縮されていく。
速読の上達も、それと同様だということである。
逆にいえば、本犬に「速くなった」という自覚がなく、それまでとまったく同じ調子で読んでいるつもりで(理解力や、内容の把握力が落ちていない)所要時間が何分の1にもなっているからこそ、序章でも述べたように、労使双方にとって好都合な、欧米諸国がしかけてくるジャパンバッシングに対抗できる切札となりうるわけである。
速くなったことが自党できるようでは、逆の見方をすれば、それなりのストレスがあるということで、長続きしない。
一発必中から総量短縮を目指せ!
本章の最初にも述べたように、これまでの記憶術というのは、一発必中主義であった。
ところが、それには、天性の素質が相当に要求されるわけであるし、大多数の読者諸氏が望んでおられるのは、必要事項を一発必中で記憶してしまうことではなく、短い時間で記憶できるようになることのはずである。
一発必中を口指して悪戦苦闘したあげく、ついに記憶できないで終わるよりは、一発必中でなくても、とにかく記憶できれば、それで目的は達成できたことになる。
それには、要領のよしあしに無関係の反復読み返ししか手段がないが、反復を繰り返しても、最終的に必要とする情報を記憶でき、しかも、それまで必要とされていた記憶までの期問を大幅に短縮できれば、それで十分なはずである。これまで記憶力にさほどの自信がなかった方は、速読法と同時並行で一気に一発必中の記憶力を身につけよう、などと無理なことは望まず。記憶できるまでの期間を短くする、《総量短縮〉を心がけていただきたい。
それが、だれでも達成できる記憶法、速憶術なのである。
記憶は《ペンキ塗り》の精神で取り組むべし!
あまり記憶力に自信がない人にとっての記憶作業は、一定以上の成果を上げようとすると、ある意味で〈塀のペンキ塗り作業》に似た方法を採らざるをえない。
塀の材質が、すなわち天性の記憶力で、刷毛にペンキを含ませて塗るのが記憶のための反復読み返しである。
記憶にすぐれた人の塀は、ペンキを吸収しやすい材質で作られているので、一度か二度、塗っただけで、ムラなく綺麗に塗り上げることができる。
しかし、記憶力が凡庸な人の塀は、きわめてペンキを弾き返しやすい材質で作られているので、一度や二度の塗りでは(塗りムラ〉ができて、部分的には、塗っていないに等しいくらい薄くしか塗れない(読んだ当座は理解したつもりであるが、後になって思い返そうとすると、ほとんど思い出せない)箇所も出てくる。
いくら塗りムラをなくそうとしてリキんで(覚えよう、覚えようと意気込みつつ文章を読む)刷毛を強く押しつけてみても、ほんのわずか濃くなる程度で、塗りムラはなくならないし、かえって刷毛が傷んで、消耗するのを速める(精神的に大きなストレスを背負い込んで疲れる)だけである。
こういう無理な状態で情報収集作業を続けると、脳細胞に疲労が蓄積し、なおも続けると、うつ病やノイローゼに冒される危険性さえ出てくる。
無理にリキまず、記憶術の名人・達人たちの塀と自分の塀とは材質が違うのだからと諦めて、そのかわりに塗り返しの回数を増やすようにする。
そうすると。確かに最初のうちは、名人たちの塀とは色合いも塗り具合いもまるで違うが、そのうちに差がなくなってくる。
それが、覚えようと思わず、自然に覚えられるまで、しつこく何度も繰り返す、ということで、しいて名づけるならば〈スイッチバック読み返しによる記憶法〉である。
そして実は、こういう方式で記憶するようにしていると、徐々にスイッチバックの必要回数が減ってきて、記憶力が向上する現象がみられる。
つまり、脳味噌の材質がよくなってくるのだ。しかし、「記憶が向上するまでにどれくらいの期間を必要とするのだ」と尋ねられても、これは個人差がかなり大きいので、お答えできない。下手にお答えすると向上度が低い人に劣等感を与えかねないので、「記憶力の向上は、まあ、それほど期待しないほうがいいですよ」と申し上げている。
<記憶力の劣等生>にはスイッチバック記憶法が最適
さて、このスイッチバック方式で取り組むと、直感的には記憶できるまでに膨大な時間が必要なような気がすると思う。
ところが、単純計算でもジョイント速読法で速読倍率を10倍に高めてから取り組めば、10回の反復でそれまでの1回分、20回の反復でも、わずか2回分にしかならない。
ジョイント速読法+スイッチバック読み返し記憶法(リラックスした状態での反復繰り返し)という方式が、現時点では唯一の、凡才族が記憶術の名人・達人に太刀打ちできる方法である。ただ反復して読む回数を増やす(その回数は、個人差があるのでいちがいにはいえないが)だけで、特に覚えようなどと意識しなくても記憶として定着する、となったら、情報収集作業は小説を読むのと同程度に楽である。
おまけに、修得までに要する時間は、「気を入れて」やる場合よりも、ずっと短縮され、脳細胞の疲労する度合いも低く抑えることができる。従来の記憶術には不可欠なイメージ化の能力が貧弱であっても、回数さえ繰り返せば、それが〈生活の記憶〉と化して暗記することができる。
どんなにペンキを弾き返す塗りにくい材質の塀であっても、しつこく何度も塗り返していれば、やがてそこにペンキの薄い被膜が形成されて、今度はその上に塗っていけばよいので弾き返されなくなる。
それと同じで、要領もなにもない、ただひたすら回数を繰り返す単純なことに耐えるだけの意志力のみが要求される。
さて、どのくらいの回数を繰り返せばよいか、ということが次に問題になり、またよく尋ねられることであるが、これには、個々人の理解度が大きく影響してくる。
完全に内容が理解できるものだと、だいたい平均して10回前後の反復読み返しで丸覚えすることができる。そして、内容が難解になり、理解度が低下するにしたがって、記憶するのに必要な反復回数が増えてくる。
日経の出版広告で短期記憶力のトレーニングができるここで一応、短期記憶力のトレーニングを日経新聞を使って行う方法を紹介しておくことにし ほかの新聞でもそうだが、朝刊の下には上のような出版広告がズラリと掲載されており、特に日経新聞の場合には、読者対象をビジネスマンと経済人に絞っているだけに、特徴がある。
これで、どういうトレーニングをやるかというと、一つの枠に囲まれた中(つまり一つの出版社の広告)を一秒間だけ眺めて目を閉じ、どういう広告内容だったのか、頭の中で再現してみる。
見方としては、やはり枠を黒板に見立て、端から順にみていくのではなく全体を素早く黒板拭きで消し取るような視線の動かし方をするのである。
そして順次、その隣の広告、そのまた隣の広告、と。それぞれ一秒問ずつ眺めて移っていく。最後まで見終わって、最初の広告の内容を覚えていられるかどうか。
覚えていられなければ。また最初に戻って同じ作業を繰り返し、それでも覚えられなければ、スイッチバックで何度でも同じ作業を反復する。
何度も注意することであるが、記憶力の鍛錬のためには眺める時間を短くするのがコツで、シーツといつまでも凝視していたのでは、かえって記憶力は、向上しないどころか、下手をすると減退していく恐れさえある。
このトレーニングに慣れたら、今度は二面以降に載っている大判の広告に挑戦する。
大判になったからといって、一つあたりの制限時間を増やしてしまっては、潜在能力を活性化できないからいけない。やはり、同じ1秒間で内容を再現できるように持っていくわけである。
その時、思い出し方としては箇条書き的でかまわないが、ビジュアルに映像的に再現できれば最高である。
→ 第四章 「超速度速読法のテクニック ‐疑似コンピュータ訓練で‐」はこちら
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